引退した名選手

松岡指導ボブ・ブレット氏が死去。テニス界に貢献した名コーチの経歴まとめ

松岡修造さんを指導したことで日本でも知られているボブ・ブレット氏が、2021年1月5日がんで亡くなりました。

ボブ・ブレット氏は、日本のテニスにも大きく貢献されてきました。このページではボブ・ブレット氏の経歴についてまとめていきたいと思います。



ボブ・ブレットってどんな人?

 

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名前 ボブ・ブレット(Bob・Brett)
国籍 オーストラリア(メルボルン)
生年月日(没年月日) 1958年11月13日(2021年1月5日/67歳)
指導選手 マリン・チリッチ、松岡修造、ボリス・ベッカー
ゴラン・イバニセビッチ…etc

ボブ・ブレット氏にはキャロラインとカタリナという二人の娘がいました。

ボブ・ブレット氏は、オーストラリアデビスカップキャプテンとして30年以上チームを率いてきたハリー・ホップマン氏に師事。

ホップマン氏のもとでコーチとしてのノウハウを学んだボブ・ブレット氏は、元世界1位ボリス・ベッカーや、元世界2位ゴラン・イバニセビッチ、マリン・チリッチなど、指導する選手を続々とグランドスラムチャンピオンに導きました。



そしてトッププレーヤーのコーチとして、ATPツアーで約25年間を過ごすと、ボブ・ブレット氏のテニス界への貢献はさらに広がっていきます。

イタリア・サンレモで自身のテニスアカデミー「ボブ・ブレット・テニス」を設立。

2000年以降は日本テニス協会とも深くかかわるようになりました。

また、日本だけでなく、カナダやイギリスの12・14歳以下のジュニア育成でも大きな役割を果たしました。



その他、後進のテニスコーチへのアドバイスも欠かさなかったようで、セレナ・ウィリアムズ選手のコーチとして知られるパトリック・ムラトグルー氏も駆け出しの頃にボブ・ブレット氏から多くのことを教わったんだそう。

ボブ・ブレット氏の訃報に触れたムラトグルー氏は、自身のTwitterで次のように投稿しています。

また、なくなる2週間前に発表された2020年ATPアワードでは、長年の功績を称えられ、満場一致で「ティム・ガリクソン・キャリアコーチ賞」に選ばれました。

ATPは公式Twitterでボブ・ブレット氏について「伝説的なコーチ」として取り上げ、讃えました。最期までテニスを愛し、愛された生涯でした。



松岡修造さんとボブ・ブレット

 

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ボブ・ブレット氏と松岡修造さんとの出会いは1985年に遡ります。

ヨーロッパ遠征に出場していた松岡修造さんのプレーを通りがかりのボブ・ブレット氏がたまたま見て、「この子はなかなか面白いかもしれない」と思ったんだそう。

その時は直接話すことはありませんでしたが、後日ボブ・ブレット氏が来日するタイミングで、様々な人の計らいにより、練習をみてもらえることになった松岡さん。

後日、間に入ってくれた人物からボブ・ブレット氏からの伝言を聞きました。それは

「修造、ボブからの伝言だ。明日にでもアメリカに来い。日本に居たら強くなれないよだって・・・」「やっぱり君の力を認めてくれたんだよ。よかったな・・・」

出典:Wikipedia

というものでした。

松岡修造さんは、これを聞いて半信半疑ではありましたが、アメリカ行きを決意。

反対する母親を説得し、1985年に単身渡米。

アメリカでは「パーマー・アカデミー・ハイスクール」に通いながら、ボブ・ブレット氏が拠点を置いていた「ハリー・ホップマン・テニス・キャンプ」で練習を開始しました。



そして翌1986年。ボブ・ブレット氏の勧めでプロデビュー。

当時ボブ・ブレット氏は「世界100位以内に入る力がある」と松岡さんに言っていたそうです。

その2年後の1988年には、実際に世界ランキング100位に入るのだからボブ・ブレット氏の先見の明はスゴイ。

皆さんもご存じの通り、プロテニスプレーヤーとなった松岡さんは、ウィンブルドンでベスト8、シングルスの世界ランキングではキャリア最高46位まで上り詰めました。

 

松岡さんはボブ・ブレット氏について、最も尊敬するコーチと称していますが、二人の師弟関係は松岡さんが現役を退いた後も続きます。

引退後にスタートさせた松岡さんのプロジェクト「修造チャレンジトップジュニアキャンプ」にボブ・ブレット氏もコーチとして参加。

また、デビスカップ日本代表チームのスーパーバイザーも務めることになるのです。



ボブ・ブレットと日本とのつながり

前述した通り、ボブ・ブレット氏は2003年~2006年まで、男子国別対抗戦のデビスカップ日本代表チームで、スーパーバイザーを務めました。

また、2000年以降、松岡修造さんが主催する「修造チャレンジトップジュニアキャンプ」のコーチとして、ジュニアの育成に関わっています。

その中で、エース錦織圭選手もボブ・ブレットさんに指導してもらった選手の一人。

近年では綿貫陽介選手のコーチも担当していました。

綿貫選手は、ボブ・ブレット氏の訃報に触れ、自身のTwitterでコメントを発表しています。

 



ボブ・ブレットの教え

以下、The DIGESTより引用しています。

「練習の質を上げる」

 

「ボールが来たから打つだけだと、重心も後ろで打点も後ろになってしまう。相手がボールを打った瞬間に動き始めて、身体の前にスペースがある状態にして、狙いを定めて打つこと」と、意識の違いが、動きに現れると指摘した。

「前でボールを捉えられるようになるまでは、オープンスタンスは禁止だ。オープンで打つと、打点が後ろになってしまう。必ず踏み込んで打点を前にして打とう」



ボールのコントロールがなかなかうまくいかない人は、準備の仕方を再確認してみよう。「構えの状態から一気にスイングしてしまうと、急いでしまいコントロールが難しくなる。まずは、小さく引いて準備(セット)をして、この状態で足を使って打つ場所まで動くこと。そして、ゆっくりスイングをスタート、ラケットを加速させてボールを打てば、簡単に振れてコントロールもアップする」。

 

ラリーでバンバンと気持ち良く打つのが好きな人へのアドバイス。上達したいなら、それだけではダメなのだ。

「速いボール、ゆっくりなボールなどミックスしていこう。自分がボールを打った後は、『このボールだったら、ここに移動しておこう』と相手のボールを予測して動いておくこと」と、自分が打ったボールに合わせてポジションを変えて次のショットの準備をすることの重要性を説明。



まとめ

いかがでしたか?

ここまで「松岡指導ボブ・ブレット氏が死去。テニス界に貢献した名コーチの経歴まとめ」ということでお届けしてきました。

 

ボブ・ブレット氏についてまとめると…

  • オーストラリア生まれのテニスコーチ。キャロラインとカタリナという二人の娘がいる。2021年1月5日がんにより死去。
  • グランドスラムダブルスチャンピオンであり、名コーチとしても活躍したハリー・ホップマン氏に師事。
  • ボリス・ベッカーやゴラン・イバニセビッチ、マリン・チリッチ、松岡修造、綿貫陽介ほか沢山の選手指導。グランドスラムチャンピオンも複数輩出。
  • イタリア・サンレモに自身のアカデミー「ボブ・ブレット・テニス」を設立。
  • 母国オーストラリアだけでなく、日本・カナダ・イギリスなどでもジュニア育成に尽力してきた。
  • 同じく名コーチと呼ばれているパトリック・ムラトグルー(セリーナ・ウィリアムズのコーチ)は、駆け出しの頃ボブ・ブレット氏にコーチの沢山のことを教えてもらった。
  • ATPアワード2020では、満場一致でティム・ガリクソン・キャリアコーチ賞に選ばれる。この賞は何世代にもわたって若い選手やコーチたちの成長に寄与した人物に贈られる賞で2019年からスタートした。
  • 松岡修造さんとの師弟関係は、強い絆で結ばれている。松岡さん引退後も、多くの交流があった。その縁で、ボブ・ブレット氏は日本ジュニア育成にも深いかかわりがある。

ということがわかりました。

今回ボブ・ブレット氏についてリサーチしてみて、本当に多くの選手や関係者がブレット氏の死を悼んでいることがわかりました。

テニス界に大きく貢献してきたボブ・ブレットさんのご冥福をお祈りいたします。

 

このページは以上です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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