引退した名選手

【どこよりも詳しい】松岡修造の華麗なる一族について!宝塚創業の曽祖父、元テニス日本代表選手の父、タカラジェンヌの自慢の娘についても

日めくりカレンダーの「まいにち、修造!」でお馴染み、松岡修造さん。あまりプライベートのことを話しませんが、実は松岡家は一族揃ってすごい人だらけなんです。このページでは「日本一熱い男」とも呼ばれる松岡修造さんのwiki的プロフィールをはじめ、松岡家の華麗なる一族についてどこよりも詳しくご紹介していきます。

 

 

松岡修造の身長体重出身などWiki的プロフィールについて

東京都出身の松岡修造さんは、1967年11月6日生まれの現在52歳です。

身長は188cm、体重は85kg。日本人としては非常に恵まれた体格ですね。

 

…余談ですが、同じ日本人男子選手の錦織圭選手は178cm、75kg。

そして、フェデラーとナダルがともに185kg、85kgです。

松岡修造さんの体格は、国際レベルということが分かりますね!

 

 

松岡修造さんは1998年にテニスを引退して以降、現在までスポーツキャスターやタレント、テニス解説者としての活動をメインにしています。

そのため、若い人は松岡修造さんの全盛期を知らない人も多いかもしれませんが、元々はプロテニスプレイヤーとして世界で活躍していました。

 

 

テニスを始めたのは8歳の頃。すでにテニスをしていた姉の練習を見たのがきっかけでした。

子どもの頃は丸々と太った体型で、世界で活躍できる才能の欠片もなかったようですが、テニスへの情熱はだれにも負けませんでした。

そして、家族の大反対を押し切り、当時通っていた慶應義塾高等学校を辞め、テニスの名門福岡の柳川高校へ転校したのです。

そこで、鬼監督のもとビシバシしごかれた修造さん。インターハイ優勝などの成績を残しました。そして、アメリカ人コーチに誘われて単身渡米。柳川高校は中退となっています。

このとき、両親からは「プロのテニス選手になるのなら援助はしない」と言われた、修造さん。

資金的には厳しいながらも、なんとかスポンサーをみつけ、遠くアメリカの地で、たった一人プロを目指して練習を重ねたそうです。

 

 

まぁちゃん
まぁちゃん
最近でこそ、錦織圭選手をはじめ杉田祐一選手、ダニエル太郎選手、西岡良仁選手などが続々とATPツアーで優勝していますが、日本人男子で初めてシングルスでツアー優勝したのは松岡修造さんなんだそうですよ。

後述しますが、修造さんは非常に裕福な家庭で生まれています。いわゆる、お金持ちのお坊ちゃまです。そんな恵まれた環境にいながら、家族の支援を受けずにあえて厳しい環境に身を置くなんて、なかなかできない決断ですよね。しかしその覚悟があったからこそ、たった一人でもテニスの道を切り開くことが出来たのかもしれません。

 



松岡修造の家系がすごい!修造の曽祖父・祖父・父・母について

曽祖父は宝塚・阪急電鉄・東宝の創設者だった!!

松岡修造さんのひいお祖父さんは【小林一三(こばやし いちぞう)】さんと言います。1873年1月3日生まれで、1957年1月25日に享年84歳でお亡くなりになりました。

 

一三さん、さっそくものスゴイお方です。

 

小林一三さんは、阪急電鉄をはじめとした阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者です。

鉄道を起点とした都市開発・流通事業を一体的に進め相乗効果を上げる私鉄経営モデルを独自に作り上げたのが、小林一三さんなんだといいます。

晩年「私が死んでもタカラヅカとブレーブスだけは売るな」と一三さんは言い残したそうですが、この「タカラヅカ」はのちに宝塚歌劇団となる宝塚唱歌隊を指し、「ブレーブス」はのちにオリックス・バファローズとなる球団なんだそうです。

また、関西財界での成功にとどまらず、東京電燈、日本軽金属の経営にも参画して日本経済界の重鎮になったことで、政界にも進出することになりました。政治家としては、商工大臣や国務大臣などを歴任したそうです。

 

まぁちゃん
まぁちゃん
しょっぱなからすごいひいお祖父さんでしたね。関西の実業家にとどまらず、東京でも事業を手掛け、最終的には政界へと進出。2015年にはNHKで「経世済民の男」というドラマが放送されたそうですが、三部作の第二部では小林一三さんの生涯が取り上げられているのだとか。一三さんの人生は、非常にいろんなことに取り組んでいますから、ドラマとしても波瀾万丈で面白そうですね。



祖父は9代目東宝社長だった!

松岡修造さんのお祖父さんは、【松岡辰郎(まつおかたつろう)】さんといいます。

1904年11月18日に今ご紹介した小林一三さんの次男として産まれ、1974年8月12日に享年69歳でお亡くなりになりました。

もともとの名前は「小林辰三」さんでしたが、修造さんのお祖母さんとなる松岡節子さんと結婚するときに松岡家に養子入りしたため、名字が松岡に変わりました。

お祖父さんも小林一三さんの才能を受け継いだのか、実業家としての人生を歩みはじめます。

松岡の実家が営む「松岡汽船」や小林一三さんが創業した「阪急百貨店」などの取締役を歴任。

お祖父さんの松岡辰郎さんは、主に興行部門を中心に活躍したそうで、帝国劇場や梅田コマ・スタジアム、新宿コマ・スタジアムの代表取締役社長などという経歴の持ち主でした。

 

まぁちゃん
まぁちゃん
小林一三さんと松岡修造さんの名字が違うのはなんでだろう…と思っていましたが、ここで理由がわかりましたね。当時は家を継ぐのは長男の仕事だったのでしょう。次男で生まれた辰郎お祖父さんは、同じく事業家として成功していた松岡家へ婿養子に入ったんですね。しかし、名字は違えど、小林一三の息子。実業家の才を十二分に発揮した人生だったようです



修造も知らなかった、父は日本代表テニス選手だった!

松岡修造さんのお父さんは、【松岡功(まつおかいさお)】さんといいます。

1934年12月18日生まれで、現在は85歳。存命しています。

松岡功さんは、第11代東宝社長です。日本アカデミー賞協会名誉会長、フジテレビの取締役など数々の役職を歴任しています。

先ほどもご紹介しましたが、東宝グループは小林一三さん(功さんの祖父で修造さんの曽祖父)がつくった会社です。東宝は同族経営で、小林家や松岡家の方が代々社長を務めているようですね。

 

そして、あまり知られていませんが、1956年松岡功さんは21歳で日本代表選手としてデビスカップに出場しています。Naverまとめでは、こんなエピソードが紹介されていました。

父の松岡功はテニス・デビスカップ日本代表に選ばれるほどのテニスプレイヤーであったが、実業家として専念するためにテニス用具やトロフィーなどを全て処分し、テニスからは一切足を洗っていたため、息子・松岡修造は父親がテニスをしていたことを知らなかったという。

まぁちゃん
まぁちゃん
我が家にもトロフィーやら楯やら賞状が少ないながらありますが、やはり自分が頑張ってゲットしたものなだけに、なかなか処分することは難しいもの。それをテニス用具もトロフィー類もすべて処分するなんて、すごい男気エピソードです。それくらいの覚悟で、仕事と向き合っていたということなんですね。かっこよすぎますね。



お母さんが元宝塚歌劇団だった!

続いては、今ご紹介した松岡功さんの妻で松岡修造さんのお母さんについてです。

お名前は【松岡葆子】さんといい、誕生日は8月15日です。

実はお母さんは元宝塚歌劇団星組男役でご活躍されていました。

芸名は千波静さん。宝塚歌劇団の44期生で、1956年に宝塚音楽学校に入学しています。

葆子さんは三姉妹で、三人そろって宝塚歌劇団に入団していました。

お姉さん(修造さんの伯母)の芸名は千波淳さん、妹さん(修造さんの叔母)の芸名は千波薫さんといいます。ファンからは千波三姉妹と呼ばれていたようですよ。

千波静さんの名づけは、お姉さんの名前をもらって千波と名付けたんですね。

まぁちゃん
まぁちゃん
娘さんが宝塚に入団したことは大きくニュースになっていましたが、お母さんが宝塚女優とは知りませんでした。一般的には大きなチャレンジともいえる宝塚音楽学校への受験ですが、曽祖父が宝塚創業者で母が宝塚女優だった松岡修造さんにとっては、馴染み深いものだったのかもしれません。



松岡修造の家族もすごい!美人妻と自慢の娘のはなし

美人妻の恵美子さんは元アナウンサー!

松岡修造さんの奥様は【田口恵美子(結婚後の本名は松岡恵美子)】さんといいます。

恵美子さんは1966年2月2日生まれで現在は54歳。日本女子大学を卒業後、ハーバード大学大学院へ進み、大学院卒業後はテレビ東京のアナウンサーとして活躍していました。

2002年から2005年まで国際基督教大学客員教授をしていたこともわかっています。

テレビ東京時代は「ワールドビジネスサテライト」などに出演していたそうですよ。アナウンサーをしていただけあって、とてもお綺麗ですね。

 

松岡修造さんとは1998年に結婚しました。そして、修造さんが恵美子さんにしたプロポーズの言葉がおもしろいのでご紹介します。

プロポーズの言葉は、
「結婚したら俺は100%幸せになれる自信があるけど、きみを幸せにする自信はない」です()

さすがというか、なんというか。でも、修造さんらしい言葉かもしれませんね。そして結婚した二人の間には、一男二女の三人の子宝に恵まれたそうです。

まぁちゃん
まぁちゃん
結婚後、恵美子さんは仕事を控えているようですが、三人の子供を立派に育て上げ、夫の修造さんも多方面で大活躍!これらは恵美子さんの内助の功があってこそなのかもしれません



修造、自慢の娘はタカラジェンヌ!

最後にご紹介するのは、松岡修造さんの長女で、タカラジェンヌの松岡恵さんについてです。

2017年に宝塚音楽学校に入団した際には、メディアでも大きく取り上げられましたね。恵さんは2019年3月に無事音楽学校を卒業しています。

 

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音楽学校時代の2年間は無遅刻無欠席で特別皆勤賞を受賞したという頑張り屋な面があるようです。

芸名は【稀惺かずと(きしょうかずと)】さん。調べたところ卒業成績は40人中11番だったそうです。

宝塚歌劇団は入るだけでも狭き門。

恵さんが合格した2017年入学の受験者数は1042人。そのうち合格者は40名なので競争倍率はナント26倍だそうです!

厳選された40人の中で、さらに上位に入るのはとても素晴らしいことですよね。

 

また、卒業公演では男役としてソロパートも披露しているということなので、将来有望であること間違いなしですね。

 

修造さんの娘、稀惺かずとさんは現在宝塚歌劇団の105期生として星組に在籍しています。

 

キャッチフレーズは「すべてに感謝!すべてに感動!」。

好きな言葉は「心に炎」(笑)

さすが、修造さんの娘とも言うべきでしょうか。



まとめ

いかがでしたか?

松岡修造さんの家族は有名人ばかりの正に華麗なる一族だったことがお分かりいただけましたでしょうか?

他にも松岡修造さんの実姉は松岡敏子さんと言いますが、辻調理師専門学校の辻芳樹校長と結婚しています。

また、兄の松岡宏泰さんは東宝の取締役で、東宝東和の会長です。

今回調べてみて、松岡修造さんの家系をさかのぼってみると親族の多くが経営者や実業家ということがわかりました。

修造さんは、どことなく品のある立ち居振る舞いですが、そもそもセレブの家の出なわけで、それも納得ですね。

また、娘の稀惺かずとさんは昨年宝塚歌劇団星組へ配属されて、これからの活躍が期待されます。今後の躍進を見守っていきたいですね。

 

今回はここまでです。

さいごまでお読みいただきありがとうございました。

 

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