引退した名選手

【クルム伊達】1度目プロ引退。会見で語らなかった本当の理由は?電撃復帰、元夫との前向きな離婚と不妊治療、パン屋「フラウ・クルム」についても

2008年電撃復帰を果たしたクルム伊達公子さん。伊達さんはなぜ、現役を退いて12年も経った後に再び戦いの舞台にあがることにしたのでしょうか?様々なインタビューから紐解いていきたいと思います。現役復帰後の主な戦績や伊達さんがオーナーをつとめるパン屋についてもご紹介します。



クルム伊達公子の2度目の現役生活と復帰理由について(2008~2017年)

2008年4月6日、クルム伊達公子さんが現役復帰を決意したことがメディアを通じて報じられました。

まさに電撃復帰!

「伊達、テニス復帰するってよ」…とは言いませんでしたが、このニュース速報を目にしたときは非常に驚きました。

伊達さんはなぜ復帰することにしたのでしょうか?

まずは1度目の引退について触れていきたいと思います。

1度目のプロ引退。会見で語らなかった本当の理由とは

その前に、そもそも1度目の現役をまだ25歳という若さで引退をしたのはなぜだったのでしょうか?

これに関しては、2017年のTV番組で本人がインタビューに答えていました。

「テニスが楽しいというのはプロになって最初の頃だけ。その後はずっと、テニスが嫌でした」

2017年6月14日放送フジ「バイキング」インタビューより

 

たしか、1995年当時の会見では「満足のいくテニスができた」というような引退理由でしたね。当時、管理人も小学生でテニスをしていたので、世界四位で辞めちゃうなんてもったいないなぁと思ったことを覚えています。

でも、伊達さん一度目の引退の本音の理由は、TVでのインタビューにあるように、単純に「テニスが楽しくなかった」ということだったというわけです。

まぁちゃん
まぁちゃん
ネットニュースでは、伊達さんのこのインタビューについて『衝撃の引退理由を告白』というようなタイトルをつけていました。世間的には衝撃なのかぁと思いましたね。

だって、私もテニスが楽しいばかりではなかったから。

エンジョイテニスでは無く、勝負の世界に身を置いた経験が一度でもあれば、伊達さんの言う「楽しくない」という言葉の意味はよくわかると思うんですよね。

勝たなければならないという重圧の中で、練習も大変、試合もしんどい、ツアー回るの苦痛…そんな中テニス漬けの毎日だったらテニスが嫌いになって当然だと思います。

でも、その中でも伊達さんがテニスの楽しさを改めて実感して、また勝負の舞台に上がってくれたことは単純にうれしいです。小学校時代の私は伊達さんに憧れていたので。



現役復帰は「若手に刺激を与えるため」

 

ここからは本題。伊達さんの電撃復帰の理由についてです。

 

これまで伊達さんがあらゆるメディアで、現役復帰についてインタビューに答えていますので抜粋して紹介していきます。

再びコートに戻ってきたことについて伊達は、元夫であったミハエル・クルムの助言があったことを告白。「(ミハエルが)“公子はまだ若いんだから、カムバックすれば”とずーっと言ってたんです。私はそんな興味もなかったし、未練もなかったので、する気もなかったのですが、たまたまエキシビジョンマッチがあったんですね。そのために準備で体を作っていて、ある程度の期間を費やしていた延長でカムバックすることになったんです

https://dogatch.jp/news/tbs/52794/detail/

 

いろいろなインタビューを読んできましたが、どのインタビューでも共通しているのは「若手に刺激を与えるために現役に復帰することにした」ということでした。

 

最初1年やる中で、日本の選手の刺激になればと思っていましたが、皆から刺激どころじゃないって言われて(笑)。思った以上の結果も出ているので、私自身の気持ちも刺激を与えるっていうことよりも、自分自身の“アスリート魂” が出てしまって、どちらかと言うと、自分で戦う方が強くなってしまいました。

https://www.omosan-st.com/archives/specialguest/vol32/vol32_01/

 

トップ10を目指しているわけではありません。一度テニスを離れたことで、テニスの魅力を私自身が再認識したんです。日本中でテニスの競技人口は多いけれど、ポピュラーなスポーツになり切れていない。だから今は『テニスという競技の魅力を、もっと多くの人に知ってもらいたい』という気持ちでテニスを続けています。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000013.000001355.html

 

まぁちゃん
まぁちゃん
伊達さん復帰の際、背中を押したのが、離婚したミハエル・クルムさんだったことはビックリしました。

管理人も、電撃復帰した当時の伊達さんの年齢に近づいてきましたが、年齢を重ねてから、プロで戦えるところまで身体をいじめぬいて、つらくて苦しかった思い出が残るコートに戻るというのは並大抵のことではないし、夫の後押しがあったとしてもすごい決断だなぁと思います。

かくいう管理人も、コロナ禍でテニスからますます遠ざかって、ぶくぶく太ってしまいましたが、ここからトレーニングをしてガッツリ試合で戦える状態まで作り上げるというのは、想像するだけで逃げ出したくなりますね…。アマチュアだけど絶対無理w…伊達さんやっぱすごい



2度目の現役生活、主な試合結果

では、2度目の現役生活での主な試合結果について振り返っていきましょう。

<WTAツアー>

  1. 20099月ハンソルオープン(韓国)優勝6-3.6-3 アナベル・メディナ・ガリゲス
  2. 201010HPオープン(大坂)準優勝5–7, 7–6(4), 1–6 タマリネ・タナスガーン

<その他>

  1. 2008年4月カンガルーカップ国際女子オープンシングルス準優勝・ダブルス優勝(ペア:奈良くるみ)
  2. 2008年6月東京有明国際女子オープンシングルス優勝
  3. 2008年11月全日本選手権シングルス優勝・ダブルス優勝(ペア:藤原里華)

上記のほかにも、2010年東レPPOでマリア・シャラポワに7-5.3-6.6-3で撃破したこともあります。

また、2010年HPオープン準々決勝ではサマンサ・ストーサーを5-7,6-3,7-6で破り、トップ10プレーヤーから勝利。40歳を超えた選手がTOP10選手を破ったのはWTA史上初の快挙だそうです。

2013年が伊達さんのセカンドキャリアハイですが、2013年は全豪・ウィンブルドンでともにシングルス3回戦進出。それぞれの大会で最年長勝利記録を塗り替える快挙です。

 

まぁちゃん
まぁちゃん
快挙だらけ…

 

ランキングについては、1度目のキャリアで記録した4位が二度のキャリアを通しても最高となっています。

2度目のキャリアでは、2013年末に54位を記録しているようです。この時、伊達さんの年齢は43歳です。43歳で54位…十分ぐらい凄いですよね。

 



クルム伊達公子の元夫と離婚理由について

さて、先ほど伊達さんの復帰を後押ししたことを記述しましたが、旦那さんについてです。

伊達さんはドイツのレーシングドライバーであるミハエル・クルムさんと2001年に結婚しています。

 

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名前 ミハエル・クルム
国籍 ドイツ
生年月日 1970年3月19日(50歳)
出身地 ロイトリンゲン(ドイツ)
身長・体重 183cm・70kg
血液型 A型

 

二人はル・マン24時間レースで知り合って交際に発展。そして、2001年に結婚しました。

…が、残念ながら2016年9月に離婚しています。二人の結婚生活は15年で終わりを迎えたわけですが、離婚の理由は何だったのでしょうか?

 

公式のコメントでは、理由らしいものは出されていませんでした。

しかし、第一線で活躍するミハエル・クルムさんと、復帰して世界を転戦することになったクルム伊達公子さん。物理的にすれ違う時間が増えてしまったことも要因の一つとして挙げられるのではないでしょうか。

また、リサーチする中で、クルム伊達夫妻でには子供がいないことから、不妊ではないか?という情報があることがわかりました。

くわしく調べたところ、結婚してから3年が経ったころから伊達さんが漢方薬や鍼灸、整体に通いつつ、不妊治療を行っていたことがわかりました。

人工授精を5回しても授からず、顕微授精もしたのだとか。それでも、不妊治療はテニスとは違い、努力したからと言って思うようにはならなかったと言います。

幼いころからテニスを中心の生活をしていた伊達さん。必要以上に身体を酷使した生活を長い期間続けていたわけで、身体に負担が大きかったのではないでしょうか。

 

以前、テニスではありませんが、あるスポーツの特集がTVでやっていて、幼いころから過度な練習を続けることで、本来12歳頃の訪れる初潮が20歳を過ぎてはじめてくるというような話がありました。その業界では生理が止まったり、生理が来ないことこそがいいことだとされる風潮があるそうです。

 

これほどのことではないにしろ、過度の練習やストレスを長期間受け続けることにより、不妊体質になってしまい、実際子供を持ちたいときに授かりにくいということがあっては、悲しいですよね。

 

まぁちゃん
まぁちゃん
管理人も学生時代は、試合の時には生理が来ず、試合が終わってホッとすると生理がはじまるということが当たり前でした。当時は試合中に煩わしさを感じないので、楽だなぁくらいに思っていましたが、それは正常ではない状況ですよね。幸い二人の子に恵まれていますが、そうではない未来もあったかもしれません。今スポーツで活躍する若い女性たちも生理不順になっている人もいるかと思います。そういう方には、ぜひ将来を考えて早めに対策を取ってほしいなぁと思います。

 

不妊やすれ違いという点も理由の一つにはあるかもしれませんが、夫婦のことなので、離婚の本当のところは誰にもわかりません。

ただ、離婚した時点ではまだ二人とも現役の選手という形でした。

そのときはスペシャリストとして生きているそれぞれの道を、そのさきも悔いなく歩んでいくために決断した前向きな「離婚」という結論だったのかもしれません。

 



クルム伊達公子のパン屋はどこに?おいしいの?

クルム伊達公子さんは2016年8月に、恵比寿にてベーカリーカフェを出店しています。

店の名前は「FRAU KRUMM(フラウ・クルム)」。食べログで☆3.6の人気店となっています。

 

フラウは「夫人」という意味だそうで、「クルム夫人」という意味の店名になっています。

たしかに開店した時はそうでしたが、出店して一か月後には離婚しているため、この店名はどうなんだろうという気もしますが、経営は順調な様子。

 

「フラウ・クルム」ではドイツパンが中心の取り扱いですが、クロワッサンやフォカッチャなどもありフランスパンやイタリアパンが混在しているそう。

それでも、伊達さんが心から好きで、テニスと同じくらい情熱を注げるパンだそうです。近くに行った際には、管理人も立ち寄ってみたいなぁと思います(食べたことないんかいっ!!(笑))

 



まとめ

いかがでしたか?

ここまで、クルム伊達公子さんの2回目の現役生活と結婚と離婚の話、経営するカフェベーカリーについて取り上げてきました。

1度目の引退後以降結婚したミハエル・クルムさんの存在が、伊達さんのその後の人生に大きく影響していることがわかりましたね。

当たり前と言えば当たり前なのですが、離婚した今もいい関係を続けられていることも、前向きな離婚だったんだなぁと思わざるをえません。

クルム伊達公子さんは、一度目のプロ生活も日本を代表するすごい選手でしたが、二度目のプロ生活においても快挙連発で凄すぎだったことがわかりました。

今回は以上です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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